兄はチョーポックリであの世へ逝った。私は兄の6歳年下の弟。
私が小学校1年のとき、兄は中学1年、そんな微妙な関係。
私が託児所に通い始めると、同じ方向に通う兄が、その行き来の面倒をみる。
それは、親に言いつけられ、彼は とても嫌がった。
私は今でも、それをちゃんとおぼえている。
ハッキリ言って兄は人の面倒を見るのが苦手。でも約束は守る。
ある冬、兄が「あの電柱に雪玉を1回で当てたら50円やる」とのたまった。
ので、1発で当ててやった。はい50円頂き!
兄は勉強ができた。というのも、勉強ができるのは当然のこと。
そう、兄は本を読むのが好き。
私が見るのも嫌で、部屋の隅にぶん投げてある教科書を拾っては、暇つぶしに読破。
なんだか、面白いと語りながら、夢中で読み漁っていた。
あと、負けず嫌い。
私に将棋で負けると、もう将棋はやらなくなり、
私に五目並べで負けると、もう二度と五目並べはやらない。
兄は中学ではテニス部、高校では 何を思ったか、応援団に。
そうそう、私たちはマツヨばあさんに育てられた。
母が仕事で忙しく、ばあさんが、食事の用意などをしてくれた。
マツヨばあさんは、小さい私ではなく、兄を気に入っていた。
手のかかる子がカワイイのだと、内心、私は思っていたけど~。
マツヨばあさんは晩年、私が実家に帰ると、兄の名前の「次郎~、次郎~」と私を呼ぶ
けど、否定はせず「あ~!」と返事をしておいた。
それは一度ではなく、何度も、何度も。
あ、次郎といきなり出てきたけど、彼は次男。
そんな生活をしていた、幼い少年時代。
兄が高校生になると、地元からちょっと遠い学校へ通うため、下宿生活に。
それ以降の兄の生活は、私はあんまり知らない。
余談だが、あまりモテているようには見えなかった。
まあそれでも、大学も有名な所に入り、意気揚々としていた。
それは、両親も同じ、鼻高々。
その兄と比べられてきた弟の私は、立つ瀬なし。
が、「おまえは立派なヤツになる」との牛一郎じいさんの言葉に励まさた。
それから時がたち、気が付くと、兄も私も年を取っていた。
気持ちは青年のままなのに、どうしても体がいうことを きかない。
正確に打っていたPCキーボードも、なんども 打ち 間違える
いやになるほど、衰えを覚えた。
外観も大きく変わり、知らず知らず体の内側も‥。
そして、静かな生活に、突然の知らせ。
普段、クールだと妻から言われている私
残された形見で、兄の人となりを垣間見、涙が溢れた。
0 件のコメント:
コメントを投稿